【浪速風】石碑が示すもの

鵜戸神宮(宮崎県日南市)の黒岩昭彦宮司が郷里の宮崎神宮の禰宜(ねぎ)になったのは14年前である。出勤途中、平和台公園に立つ「平和の塔」が毎日見える。戦前戦中は「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」と呼ばれて「八紘一宇(はっこういちう)」の文字が刻まれ、戦後削られたものの、現在は復活している塔だ

▶その文字が、初代神武天皇の建国の言葉「八紘を掩(おほ)ひて宇(いへ)と為(な)さむこと、亦可(またよ)からずや」を元にしていることは知っていた。戦中には戦意高揚のスローガンに使われたこともだ。問題は、平和の塔のように本来の意味を理解し、全国の石碑などが残っているか。全国行脚の調査研究が始まった

▶北海道から宮崎まで35都道府県で132基が健在だった。創建が、昭和維新を源流にするもの▷紀元2600年事業として▷神武天皇信仰に伴う地域主義から▷戦争推進のため、の4パターンあることも解明した。労作は『「八紘一宇」の社会思想史的研究』(弘文堂)として書籍化された。ぜひご一読を。

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