国のために祈った水穂さん 論説副委員長・沢辺隆雄

産経新聞の教育、歴史問題などをリードしてきた客員論説委員、石川水穂(みずほ)さんが75歳で亡くなった。がんで闘病していた。

「父は会社ではどんな感じだったでしょう。変人ではなかったですか」。葬儀で娘さんから聞かれた。娘さんが子供時代、仕事で帰宅が毎日深夜。昼間の会社の父親の様子を知りたかったらしい。

石川さんは、私よりひと回り上の大先輩だ。その世代の新聞記者といえば、個性の強い変人ばかりだが、石川さんは知恵袋として「みずほ」と頼りにされ、後輩からは慕われた。そう答えると、娘さんは「少し安心しました」と頰をゆるめた。家族葬には小学生などかわいい盛りの5人のお孫さんも参列し、「じいじ大好きだよ」など寄せ書きが棺(ひつぎ)に入れられた。

石川さんは産経退職後、三重県にある実家の神社の宮司を務めていた。退職のあいさつで「これからは国のために祈ります」と話していたのが印象に残る。神社は息子さんが継ぐ。

初任地だった前橋支局は、昭和40年代の連合赤軍事件や大久保清の連続殺人など大事件があった伝統の支局だった。同期入社の阿部雅美さんとともに赴任し、阿部さんは産経の「アランドロン」、石川さんは「コロンボ」といわれたとか。支局時代に知り合った恵美子夫人は「本当に仕事人間でした」と振り返る。

石川さんは、仕事の合間、ユーモアをこめ後輩たちにアドバイスした。朝日(新聞)と反対のことを書いておけば間違いない…。

私が論説委員になったばかりの頃、石川さんは私の主張(社説)の下書きを見て「完璧、完璧」と褒めたが、当時の論説委員長は「主張になっていないわね」と顔をしかめた。石川さんは後輩に仕事をさせるのもうまかった。

平成10年に「教育再興」という連載をしたとき石川さんが取材班のキャップを務めた。当時、日教組傘下の教職員組合の影響が強い「広島の教育問題」など課題が山積していた。石川さんは、主に教育界の競争を嫌う「悪平等」と、「偏向教育」

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